BANRIと日本画との出会いの物語

 

 

BANRI誕生とその成長

昔々、或る所にお爺さんとお婆さんが居りました。

お爺さんとお婆さんには子供が有り、孫が有り、曾孫が有り、曾々孫が有り、

更に数代の後に私、BANRIが誕生致しました。

私はすくすく成長し、五歳の時、曹洞宗の或る寺院に入れられました。

ですが、偶に切支丹の教会等へも顔を出して居り、仏道修行に打ち込む事は有りませんでした。

子供ですから、墓場で肝試し等もやったものです。

煽てられると伸びるタイプなので、「絵が上手い」等と言われ、絵を描くのが好きに成りました。

 

思春期の悩みと恩師との出会い

十二歳頃までは素直に育ちましたが、思春期に突入すると、様々な悩みも出て参りました。

その悩みの中で、

「私の人生は阿弥陀様によって最善の方向へ導かれて居るのだ」

と信ずる事で安心を得るようになりました。

思春期も終わった頃、信じていた阿弥陀様のお導きか、私は師と仰ぐ御方に出会えたのです。

それが広至大菩薩でした。

 

マー魚坊主を得る

広至大菩薩は画家でも有ったので、私はその門下に入りました。

師は自由に創作させる方針でしたので、好き勝手に絵を描いたり立体を造ったりして居りました。

そうして二年後、私は遂にマー魚坊主を感得する事ができたのです。

それから私はマー魚坊主縁起絵巻や厨子を制作して居りましたが、

或る時一巻の古典を開いた事で、私は大きく変化致しました。

 

道を踏み外す

それは、中世の軍記物語『太平記』でした。

すっかり魅了された私は、芸術活動をはたと止め、武芸に励む様に成ってしまったのです。

私は道を踏み誤り、 恩師・広至菩薩の教えに背いたので御座居ました。

そしてその一年後になって、私は、 暗い崖下に落ちている自分の姿を見、

自らの選択が間違っていた事にやっとこさ気付いたのです。

 

日本画との出会い

その時、一瞬辺りが明るく輝いたかと思うと私の目の前には確かに、 広至菩薩が静かに微笑んで立っておられたのです。

私と目が合うと 菩薩師匠は無言で私の足元を指差して、その次にはもう、紫色の雲に 包まれて帰って行かれました。

ふと彼の示した方を見ると、 そこには色とりどりの砂が 散らばっていたのです。

それから、私はその足元の きらきら光る石の欠片 を寄せ集め、一枚の絵 を描きました。

此れ が私と日本画との出会 いなのでした。

私は今、 何度もずり落ちながら、 明るい陽の射す地上を目 指し懸命に岩壁を這い登っております。

いつか私にも、心安らぐ幸せを掴める事を夢見て・・・。

 

 

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